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あだたら山の写真


由来
ルーツはあだたらでも「安達太良」「阿多多羅」「安太多良」と3つの呼び方がある。いろいろと説があり、これだとはいえない。
「安達太良」は昔は山や川の名前を人の名前にして呼んだことがある。たとえば利根川を坂東太郎とか、あだたら山を安達太郎と呼んだのが始まりかも?「阿多多羅」は高村光太郎の詩集のなかに、智恵子抄に出ている「阿多多羅」ですが、この地区は安達地区で旧阿多知と呼んでいたらしい。アイヌ語でアタタラとは私たちの山という説があります。また、アイヌ語でアタタは「乳首」ともいうらしい。「安太多良」もやはり「安達太良」と同じで、人名から来ているとされている。
磐梯山の噴火120年余りが過ぎましたが、約10年後、あだたら山の噴火も西暦1900年7月17日に噴火したといわれています。
今も沼の平はその面影を残しています。

噴火の歴史は1623年(天和9年)が最初の噴火、1658年(元治元年)に温泉を見つける。今のくろがね小屋上部に最初の岳温泉(湯日温泉)ができたとされている。1824年(文政7年)8月、3日間の暴風雨があり鉄山の一角の地すべりで、250人余りが死傷する大惨事になった。
塩沢温泉近くに十文字岳温泉を開湯し、50件余りの宿屋、商店かなり繁盛しました。しかし、戊辰戦争のあおりをうけて、会津藩の山越えの撃があるといううわさが広がり、温泉が足がかりとなるのを恐れて建物をすべて焼き払い温泉場を立ち退いたのである。
その後、深堀に温泉を1870年(明治3年)おこし、30年余り隆盛を極めた。が、明治36年に大火災が発生し深堀温泉の全焼の憂き目にあった。日露戦争の終結と同時に平和になり、、温泉目当てのお客様がおおくなりました。当時、10軒ほどの宿がありかなり繁盛していた。
この頃から数多く噴火があり
最大規模の噴火で岳温泉(湯日温泉)が全滅になった。供養のためなのか、くろがね小屋付近には梵字石、地蔵がある。このあと、塩沢温泉付近に岳温泉(十文字温泉)が移り、大火災にあい古岳(深堀)へ、ここでも大火災にあい、現在の場所(明治40年)におちついたとされている。
<概要>
磐梯朝日国立公園の南端。福島県の中央部を南北に走る奥羽山脈に属する。
向って左から和尚山(1601.5M)、主峰 安達太良山(1699.6M)、鉄山(1709.3M)、箕輪山(1718.4M)、鬼面山(1481M)


安達太良山は東北道、東北新幹線からのアクセスが近く簡単に登山口に着く利点があります。
山域も小さく4・5時間もあれば、どのルートからでも、山頂に到達できます。
特に奥岳登山口はゴンドラリフトがあり、山頂までは1.5時間もあれば到達でき、首都圏からの、日帰り登山も可能です。
奥岳自然遊歩道がリニューアル! 何人乗っても大丈夫! 滝見橋も綺麗に、そして頑丈に!

安達太良山の写真(初夏)

あだたら山頂(通称・乳首山 山頂より和尚山を望む 船明神山
山頂から猪苗代湖を望む 沼の平 薬師岳より山頂を望む


あかものとごぜんたちばな くろうすご もうせんごけ
丸葉しもつけそう こばいけいそう れんげつつじ


安達太良山の写真(秋)

薬師岳より山頂を望む 薬師岳より山頂を望む ゲレンデの紅葉
ゲレンデの紅葉 ゲレンデの紅葉 ゲレンデの紅葉


安達太良山の写真(冬)

強風吹き荒れるゲレンデ ゴンドラ内部から 冬のあだたら
快晴のあだたら 二本松市内を一望 ゴンドラリフトより

もし、間違い等ありましたらどしどし、ご意見いただければ幸いです。

まだまだ、初心者にて、HPも、山もなかなか思うように行きません。
菅野光一さんにいろいろお世話になっております。


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